日本の新型コロナ対策への批判に見るコンセプトの重要さと難しさ

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janeannpetersによるPixabayからの画像

日本の新型コロナ対策は結果としては比較的成功

世の中ではこの「日本の新型コロナ対策は海外から批判は受けているが結果として死者は出ていないのになぜここまで非難されるんだ」という話題で少々喧しいのですが、筆者もここで便乗したいと思います(笑)。

確かに人口1万人あたりの新型コロナ感染症による死者数を見れば欧州の優等生ドイツですら100名近くに到達しており、米国・英国・フランスなどは軒並み数百名というレベルです。

一方日本の場合にはまだ6名を突破したところでおよそ二桁の違いがあります。数十%の違いや2倍くらいまでの違いであればラッキーということもあるのかもしれませんが、二桁となってくるとこれはさすがに有意な違いと言わざるを得ません。

しかも地理的な中国との距離から考えれば日本の方が圧倒的に多数の感染者や死者が出ても不思議ではないのです。

すなわち、どのような施策を取ったかというプロセスの議論はあれどもその結果において日本の現状は優等生と評価して問題ないと思います。

しなしながらその不透明性や不作為性において批判多数

しかし海外からはこの死者数の少なさという結果に対してあまり好意的な評価は得られていません。

むしろ批判の方が多いのが現状です。なぜ批判になってしまうのでしょうか。

批判対象の中心は主として2点です。

  • 不透明性: PCR検査の少なさに伴う本来の状況の不透明さ
  • 不作為性: 強制力を伴わない自粛という名の弱腰対応

この状況に関して海外の政府やメディアは「日本政府はやるべきことをやっていない」と評価していると見られます。

実際には背景となる思想があっての対策であることが透けてみえる

しかしながら様々にメディアや政府から漏れ聞こえてくる内容を聞いてみると全くの無策というわけではないようにも見えます。

例えばPCR検査を限定的にしか行わないという方針については、限りある医療リソースを重症患者に重点投入することで死者の発生を最大限防ごうという意図だということがわかってきました。

また自粛については公的権力(警察など)に頼った網の目よりも日本人の同調圧力を活用してもっときめ細かく動きを抑え込むことによって感染経路不明感染を最小限にしようという思想だということもわかってきました。

コンセプト化して伝えることができず批判を招いた

上記にような対応を海外の方にもわかりやすく説明するならば

PCR検査の限定化はトリアージ(Triage)になり

自粛の適用についてはピアプレッシャー(Peer Pressure)ということになるでしょう。

このように伝えるためのコンセプト化をできなかったことで不要な疑心暗鬼や批判を招いたのだとも割れます。

抽象度を可変させることの大切さと難しさ

つまり単に「やってるやってる」だけではなく、どのような思想や哲学に基づいてどのようなアプローチをとっているかを的確に示すことが重要になります。

一方、事実やデータなどを抽象的にメッセージとして表現することは誰でもできることではなく訓練に基づくスキルが必要です。

それぞれのデータにどのような意味があるのか、それを言葉で表現すると何が言えるのかということを継続して訓練する必要があります。

これを称して筆者は抽象度を変えるという表現にしているのですが、抽象度を可変させることによってメッセージに厚みをもたせることができます。

今回の日本の対策に対する批判はそのことを筆者に想起させました。

最後に

データや結果だけでは伝えたいことも伝わらないことがあります。

そのデータあるいは背景を言葉にすること、コンセプトにすること、これによって相手に伝わりやすいメッセージを紡ぎ出すことができます。

皆さんにとって何かしらの参考になれば幸いです。

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