この記事の内容
あなたは行き詰まっていると感じているか
唐突な質問ですが、あなたはキャリアにおいて行き詰まっていると感じているでしょうか?
よく閉塞感という言葉が使われることも多いですが、自らが行きたい場所に行けない感じとでも言いますか、自らが望むキャリアステップ通りに前に進めない感覚のようなものだろうと思います。
特に大企業、特に官僚的な組織においてはこのように感じている人は多いかもしれません。
むしろ硬直的かつ安定的なキャリアを望んだ人にとっては特に何も問題ないでしょう。
しかしながら、もっと多くのことを達成したい、もっと多くのことを経験したい、そのように考える人にとってはキャリアにおける行き詰まり感は深刻な問題かもしれません。
何と比較して不完全だと思うのか
行き詰まるという感覚は、自らが思うあるいは望む完全さに対してキャリアの何かの要素が不完全であるという感覚を示していると思います。
では、もう少し掘り下げて、何が不完全なのでしょうか。
自分はもっと上の役職に就けるはずだ、自分はもっと給与がもらえるはずだ、自分にはもっと高い評価がつくはずだ、自分はもっと楽な仕事につくはずだった、、、
個人によってこの不完全さの要素は様々だと思います。
その不完全さを感じることによってモチベーションにする、何かの原動力にすることは良いと思います。
一方で、それを他人に対する嫉妬や呪いのように転換してしまう人がいることも事実だと思います。
でもそのように感じる前に少し考えて欲しいことがあります。
不完全は本当に不完全か: 書籍は映画より不完全か
あなたが感じる不完全さは本当に不完全ですか、ということをもう一度見直してみませんか、ということです。
あなたが感じる不完全さ、例えば仕事の幅が狭いということはあなたの仕事の本来の姿の1つの側面ですが、違う側面に気づいていない可能性もあります。
例えば、他部署からの圧力に直接面しないで済むという利点があるかもしれません。
あるいは他の人からの嫉妬の対象にならなくても良いという側面もあるかもしれません。
喩えを用いますが「書籍は映画に対して不完全ですか」という問いを投げかけます。
映画は映像、音楽、様々な描写を込めることによって作品をより細かく伝えることができます。
そこには多くの情報が詰め込まれ、受け手にとっては作品を理解することは容易な媒体と言えるでしょう。
書籍は文字での表現であるがゆえに、そこに受け手にとってはある種の曖昧さ、異なる表現を用いるなら受け手にとっての自由を与えます。
これは映画に対する不完全さと言えるでしょうか。
今一度、あなたが感じる不完全さの本当の姿を見つめてほしいと思います。
不完全さの間隙にある本当のキャリア・本当の人生
不完全さはあなたが強く感じるものかもしれませんが、一方でそれはキャリアや人生の1つの側面でしかありません。
環境の変化は本当に多様、1つの要素を変えるだけでも感じ方が多面的に変化します。
その不完全さから見える姿を直視することで本来の自分自身のあり方、本当の人生のあり方を見つめていただきたいと思います。
最後に
筆者は過去の転職の中で転職前後で変化するものを多々に感じてきました。
その中には転職の後になって初めて気づくものもありました。
今ではそれは全く後悔していません。むしろその経験によって自分自身の視座に深みが出たと思っており、良い経験になったと思います。
不完全さに対するフラストレーションはその奥にある本当のキャリアの姿、本当の人生の姿を見通す良いきっかけになると信じています。
皆さんにとって何かしらの参考になれば幸いです。
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