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都市封鎖と鎖国の世界では情報入手の地理的制約がなくなる
新型コロナウィルス感染症の影響あるいは拡散防止のために世界各国の政府がロックダウン(都市封鎖)と海外への渡航制約を導入しています。
産業界ではこの状況においても情報共有や人的交流を継続できるようにオンラインでのコミュニケーションを加速させています。
そのため様々な会議がオンライン化され、大規模なコンファレンスもWebinar(Web Seminar)化されてきています。
そのおかげで情報アクセスに対する地理的な制約がなくなってきました。
例えば、筆者はときどきテクノロジー関係のコンファレンスに参加することがあるのですが、それらが米国や欧州で開催されるときには「これ面白そうなのに遠いから参加できないなー」と思って参加を見送らざるを得ないことがしばしばありました。
しかし、それらが全てWebinar化されたことによって出張旅程を考える必要がなくなりました。ただその時間に起きていてインターネットにアクセスできれば良いのです。
主催者がビデオ録画をしてくれている場合にはもっと楽です。時差を気にする必要もなくなりました。
このように地理的な人的交流の封鎖は皮肉にも情報アクセスの自由を生み出しているのです。
「情報にアクセスできるか」ではなく「情報にアクセスしたいか」
このような状況において持ちうる情報量に差を生むのは「情報にアクセスできる」立場にあるかどうかではなく、個人として「情報にアクセスしたい」という意思があるかどうかに依存します。
情報アクセスの個人主義・平等主義・民主主義と言って良いでしょうか。
コロナ後の世界は既得権益ではなく個人の意思が違いを生む時代と言って良いのではないかと思います。
主体性・理解能力・行動力が加速的に差を生み出す
個人の意思、というものをもう少し噛み砕いてみましょう。
それは下記の要素に分類できると思います。
- 主体性: まずは主体性です。個人として情報を取りに行きたいと思うところから始まります。
- 理解能力: ただ思うだけでなく情報にアクセスした際の理解能力も重要です。特に外国語の場合にはその差が大きく出るでしょう。
- 行動力: そして行動力です。単に思うだけではダメ、単に妄想しているだけではダメです。何かの行動を起こすこと。これがコロナ後の世界ではますます重要です。
かつてはテレビの前でボーッと流れて来るものを眺めていればそれなりの情報が入手できる時代でした。
しかし、コロナ後の世界は、その情報の量や質、そしてその拡がりが個人の資質、それは学歴とか職歴ではなく、本当にピュアにその人がどのような人間か、によって大きく異なってきます。
さらにそれが日一日と加速していく。
そんな世の中が来ました。
最後に
このようにコロナ後の世界はますます個人の世界になりました。
経済的なショックもあり、職を失った方、苦労されている方も非常に多いのですが、一方で主体的に動ける個人としてはとても良い世の中になったとも思うのです。
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