「ものづくり」というコンセプト自体が敗北の証左である理由

経営戦略
LEEROY AgencyによるPixabayからの画像

日本の失われた20年に関して盛んに議論された「ものづくり」論争

世界のGDPが成長を継続している中でほぼ全くGDPが成長しなかった日本について「失われた20年」と揶揄されています。

この話自体は全く新しい話ではなく、その「失われた20年」の間に就職できずに非正規雇用のままで年齢を重ねた30代後半、40代の方を称して「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」という言葉も登場しました。

この失われた20年の議論に付随する議論として

「日本のものづくりは敗けたのか」

というものがあります。

日本の製造業は高度成長時代には無敵の強さを誇っていたわけですが、円高の到来、日米貿易摩擦等の影響により、その競争力は失われました。

この「ものづくり競争力」と「失われた20年」はしばしばセットで議論されることが多いです。

「ものづくり」で勝敗が決まるのか

しかしこの議論には大きな欠陥があります。

製造業は確かにものをつくらなければなりませんが、その競争力が製造だけに依拠するわけではありません。

すなわちここでは必要条件と十分条件の関係が無視されています。

ものづくり、すなわち製造という機能は製造業の必要条件です。

しかしながら、製造すれば製造「業」になるかというとそうではなく、製品企画、広告・宣伝、営業、サービスなど、製造業として必要な要素は多岐にわたります。

すなわち「ものづくり」という言葉は製造業としての十分条件をカバーしていないのです。

十分条件が揃っていないのであれば当然「ものづくり」だけで製造業の勝敗が決するわけではありません。

「ものづくり」論は完全にルールを見誤った議論

にもかかわらず、日本の有識者論者たちは、あたかも「ものづくり」だけで雌雄が決するかのような議論に終始し、ものづくりとしての勝敗論に拘泥しています。

これは産業としてのルール、すなわち最終的には利益の再投資によってその産業が発展していくというルールを完全に無視した議論です。

どのようなビジネスモデルを作って、どのように利益を作って、そして強みに再投資していくか。

つくるのは「もの」ではなく「ビジネス」です。

それを勘違いしたまま「ものづくり」議論だけで産業の衰退を議論しているようであれば、そこには永遠に答えは見つからないでしょう。

本来のルール=ビジネスの勝敗で議論すべき

本来のルールはものづくりではありません。

事業、そう、ビジネスです。

ビジネスの勝敗を議論すべきです。

ビジネスとして何が良かったか。

ビジネスとして何が悪かったかです。

「iPhoneを作るための技術はもともと日本にあった」

とはナンセンス極まりない議論です。

作るのはビジネスであって「もの」ではありません。

「もの」があってもビジネスを作ることができなければそれは敗北です。

いい加減「ものづくり」論から脱却してビジネスの優劣を語るべきです。

それができないのであれば識者を名乗る資格はないでしょう。

最後に

「ものづくり」では敗けてなかった、だから敗けたのは何か世の中がおかしい。

などという持論を展開しても何も救われません。

ビジネスを作ることに失敗した者はビジネスをどうするかについて学ぶべきです。

皆さんにとって何かしらの参考になれば幸いです。

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