この記事の内容
意味を知らずに使われるAccountability
Accountability=アカウンタビリティという言葉は日本語で頻繁に「説明責任」と翻訳されます。
しかしながらその言葉の意味自体は使っていながらもよくわからないというのが本音の人も多いのではないかと想像します。
言葉はひたすら使用を繰り返すことで、聞き手にとって意味がわからなくなっていくことがあります。
マネジメントの世界には、このような言葉がいくつかあります。
その代表例が 「アカウンタビリティ」です。
この言葉は、多くの組織の多くのレベルのリーダーに愛用されていますが、時が経つにつれ、本来持つ意味を失いつつあります。
AccountabilityはKPIだけにとどまらない
語源的には、アカウンタビリティは、ラテン語のaccomptare(説明する)に由来し、さらにcomputare(計算する)に由来し、さらにそれはputare(測定する)に由来しています。
説明する、計算する、測定する。
明らかに、アカウンタビリティは、個人の状態に基づいて測定し、答えることに関係しています。
しかし、アカウンタビリティは、KPI(重要業績評価指標)で測定できる状態に限定されるということではありません。
ラテン語にはKPIに関する記述はありません。
この言葉の定義は、他の個人の状態を簡単に測定したいという観察者の視点を考慮したものです。
従業員がアカウンタビリティを感じるということ
本人の心の状態はどうなのか?
従業員の心の状態から考えると、アカウンタビリティはどのようなものになるのでしょうか。
「従業員をボランティアとして扱え」と先見の明を持って宣言した現代経営学の賢人、ピーター・ドラッカーは、従業員にとって重要な質問は「何を達成できるか」ではなく「何に貢献できるか」であると示唆しました。
それは「私はこの場所を所有している」という従業員にとっての心理的所有感と、「この場所は私を所有している」という道徳的義務感に基づくものです。
マネージャーへの質問です。
あなたは、従業員の目的意識に沿った責任を果たしていますか?
アカウンタビリティを発揮できる心理状態とは
真のアカウンタビリティを求めるリーダーは、KPIで測定される状況と同様に、説明責任を感じている心の状態にも注意を払う必要があります。
特に、状況測定と認識されるアカウンタビリティの感情との間の緊張関係に注意を払うべきです。
ピーター・ドラッカーは「目標が5つあると何も目標がないのと同じ」と言っています。
指標が増殖すると、人々はトーストの上のバターのように薄く広げられ、その結果、能力を十分に発揮できなくなります。
評価指標と能力のバランスこそがアカウンタビリティの意味
だからこそ、アカウンタビリティは「アカウント×アビリティ」という2つの言葉の掛け算で捉えなければなりません。
アカウント(評価指標)だけでは、モチベーションも、そして能力も低下してしまいます。
従業員のパフォーマンスを説明するために無数の指標を作る前に、従業員の能力を強化するために何をしているかを考えるのが賢明なリーダーでしょう。
最後に
言葉の語源にさかのぼって本来考えるべきことを認識するのは非常に興味深いアプローチだと考えます。
アカウンタビリティという言葉は、意味が形骸化しやすい言葉ですので、この言葉を使う方は今一度その意味を深く問う機会を作っていただきたいと思います。
皆さんにとって何かしらの参考になれば幸いです。
コメント